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身近な人間が突然死んでしまうと、ヒマになる。

ヒマというか、すっかり空いてしまった予定だとか、埋められるはずだったこれからの時間が空白になってしまう。

予定の有無の問題ではない、か。

いつもいつでもどんなことでも話せていた相手が突然いなくなったら、それまで話していたようなことは誰に話せばいいのか。

どこに吐き出せばいいのか。

わからなくなるだろう。

なんでもないことに共感できる相手の喪失というものは思わぬ空白を生むものだ。

うしなった相手以外にも人間関係はあり趣味や考え方の合う他の人間と過ごす時間はもちろんあるけれど、特定の人を喪ってできた空白の時間は同じように埋められるものではない。

そしてその空白の時間は、なにかでむりやりにでも埋めなければどうしようもなくざわついてくるものだ。

なにかしなきゃ、なにかしなきゃ、と。

人を喪った悲しみが癒えてくるというのは、こころの隙間が埋まっていくことなのだろう。

うまく埋められるかどうかは人それぞれ、まぁたいがいは苦労する。

死んでしまった者を想うことと、自分が生きていくことを考えるのは両立するものだ。

いつまでも死んだ者のことを想い続けて生きていくなんてのは物語としては美しく見えるのかしらないが、現実的ではない。

後悔するなら、その後悔のひとつひとつ全てに理由をつけて結論を用意して、ひとつひとつ終わらせていけばよい。

気持ちの整理をつけるとはそういうことで、それができれば空白も埋まる。

理屈ですまない感情を終わらせるというのは難しいことが多いのだが。

そういうものだろうと思って、そのように生きてきたら、どうしようもなかった空白も八年もかければ少しは埋めることができたように思う。

それができたのは幸運にも自分が最強だったってことと、繋がりを持てる人間がまわりにたくさんいたおかげなのだ。

ベタなまんがのせりふみたいで言いたくはないが、人は人に傷つき、また癒されもするものだと、わかった気がするね。

だから僕はこの世のなかは大嫌いだけど、この世の人を嫌いにはなりきれないのです。