『今こそ日本人の出番だ』講談社+α新書

筑波大学名誉教授、村上和雄

心理療法家の河合隼雄(はやお)さんは、人間が幸福であると感じるためには2つの条件が必要であると考えていました。

一つは、自分の人生にきちんと向き合って生きるということ。

そしてもう一つは、自分を超える存在とつながっているという感覚があることだ、と。

自分を超越するものというのは、昔から神とか仏とかいわれているものかもしれません。

私の言葉でいえばサムシング・グレートですが、そういうものとつながらないと、なかなか人間は本当に幸せになれない気がします。

どんな人間も一人で生まれ、一人で死んでゆく。

だから、生涯にわたって、何か無限のものにつながっているという安心感が、人間を幸せにする根本に必要だと思うのです。

今まで私たちの価値観は、目に見えるものにあまりにも偏(かたよ)っていました。

これからは目に見えないものに価値を置いて、幸せを発見していく。

人間は単に物質だけでは満たされないことはもはや明白で、本当の幸せをどうやって見つけていくかが世界の大問題になっています。

日本がそのモデルを提示することができれば、日本は世界で役立つ国になれます。

人間はだれでも幸せを求めていますが、本当に幸せになるためには、死をどうとらえるかという問題を避けては通れません。

メメント・モリ」はラテン語で、「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という警句です。

死を思うことによって、今生きていることを実感する。

死を思わなければ、生の充実がない、ということです。

しかし、今の日本人は死を思うどころか、死を忌み嫌って、なるべく避けようとしています。

昔の人は、自分を支えるものがあると信じていて、それを神様とか仏様といいました。

だから、中年になっても老年になっても平気だったのでしょう。

「私は死んだら行くところが決まっている。ご先祖になるんですわ」というようなおじいさんもいました。

行く先を知っているということが、その人を安心させていたのです。

どんなに健康で長生きしても、人間は必ず死にます。

これは絶対的真理です。

とすれば、死というものをどうとらえるかが非常に重要になってきます。

死を考えたうえでの人生観を持たない限り、人は最期、不幸に終わると思います。

我々はこの世に生をうけたときから、死に向かって進んでいる。

そして、人生後半になれば死はだんだんと身近なものとなる。

「年を取るということは、あの世(神様)と近くなるということ。だから、神社やお寺のお役を受けるんだよ」と言った人がいた。

大方の日本人は、若い頃はあまり神社やお寺のことには興味がない。

しかし、年配になってきたら話は別だ。

誰でも、病気になったら病気のことを身近に受けとめ、人一倍知ろうとし勉強する。

同様に、あの世に近づいたら、神社やお寺や神様を身近に受けとめ、知ろうと努め、勉強する必要がある。

メメント・モリ

自分がいつか必ず死ぬことを忘れてはいけない。