あなたのする体験に「良い体験」も「悪い体験」も ありません。

あなたのする体験に「良い体験」も「悪い体験」も ありません。

津留晃一

ではどうしてあなたは

比較をするのでしょう。

比較から混乱、

苦しみがやってくるのなら

比較しなければ

良いのではないでしょうか。

それは、結果には

「良い結果」と

「悪い結果」とがある

とする

あなたの考え方に

起因しています。

私にとって

「都合の良い事」と

「都合の悪い事」があるのだ、

とあなたは信じ込んでおり、

これまで

そのことを疑ったことさえ

なかったのではないでしょうか。

この世に

「良い事」と「悪い事」はないのだ、

本当にそんなものはないのだ、

右を選べば右の道があり、

左を選べば左の道があるだけである、

と伝えられました。

右の道を選べば

右の体験があり、

左の道を選べば

左の道の体験があります。

その体験に、

良いも悪いもありません。

ただその体験を

しているだけです。

そして右を体験しつくした人は

その体験による学びが終わり、

次には自ずと

左の体験を望むように

なってきます。

人はあらゆる体験をするために

肉体を持ちました。

神には出来ない

あらゆる体験をするためにです。

そして単に

まだしていない体験に対して

欲望がわいてくるように

なっているにすぎません。

従ってあなたは

望むとおりに、

欲望どおりに、

行動を起こしていけば

いいわけです。

そのことに

意味をつける必要はありません。

比較する必要などありません。

あなたは全ての体験を

しつくすために今ここにいます。

そこには人殺しをした後の

強烈な後悔の念を体験してみる

という事も含まれていたようです。

今あなたが

人殺しをしようと望まないのは、

きっと既に過去世でそういう体験を

終わっているから

なのではないでしょうか。

先生や、親から、

人殺しはいけないと教わったから

人殺しを否定しているわけでは

ないはずです。

そんなことは教わる前から

知っていたのではないでしょうか。

それはあなたの過去世にある

魂の記憶に由来しているのだと

思いませんか?

だとしたら人殺しでさえ

大変貴重な体験であった

といえるはずです。

あなたのする体験に

「良い体験」も「悪い体験」も

ありません。

あなたのする体験に

「得な体験」も「損な体験」さえも

ありません。

ですから起こってきた結果を

比較することに

どんな意味もありません。

このことが心の底から

本当に理解できたとき、

あなたはもはや

比較や判断といった

古めかしい習慣から

解放されることでしょう。

あなたは右にしようか

左にしようか迷わなくなります。

それはどちらでも良いからです。

その心境が

ブッダの言った中なる道、

「中道」ということ

なのではないでしょうか。

そこが

我々の目指す最終ゴール、

ニュートラルポイント、

宇宙の始まり

特異点のことです。

私は「全ては一つ」という概念から、

あらゆるものの統合を目指して

これまで一貫して進んできました。

私の中に「どんなものとも

決して別々のものではありたくない」

という強い強い思いあったからです。

私は小さい時から、

見たくないものがありました。

それは人の諍いです。

人と人の対立が

イヤでイヤでたまりませんでした。

小学生のころ、

先生が生徒を

叱りつけているのを見るのが、

一番の苦痛であったことを

はっきりと記憶しています。

今回、私がここに

生を受けた理由がそこにあります。

そんな私の求めつくしたものが

完全なる調和でした。

物質と精神、

善と悪、

東洋と西洋、

右脳と左脳、

良い事と悪い事、

そして自分と他人、

そうしたあらゆる

二極の対立の統合が目的でした。

その進む課程の中で

私の意識は右に揺れ、

左に傾きながら歩んできました。

他人の言葉を聞き、現実を見て、

意識は上がったり下がったり

揺らぎ続けてきました。

全ての統合を目指して。

大いなる一つに

帰り着くことを目的として・・・。

しかしその「大いなる一つ」とは、

目指すゴールではありませんでした。

それはもう既にここにありました。

元々それは

今ここにあった事に気付きました。

「無」とは今ここの

「有」の裏側にそのままありました。

「無」に帰り着く

必要などなかったのです。

「無」とはこの「有」なる世界を

表現する土台と

考えればいいでしょうか。

「無」を体験してみたければ、

あなたの意識をくるりと裏返しに

ひっくり返してさえみれば、

そこにそれを感じるでしょう。

ちょうどメビウスの帯

立体的に作ったものを

想像してみると

解り易いかもしれません。

今が一つ、ここが一つ、

今このままで

ここが一つです。

ここが無、

この表現が無、

この裏返しが無、

このまま、

そのままで無です。

今ここが

完全なる一つだからこそ、

この完全なる

二極の次元が存在できます。

ですから全てのものが

今そのままで完全です。

このことが解った瞬間、

自分の中の欲望が

雲散霧消していることに

気付くでしょう。

そのとき大安心の境地にいる

自分自身を観ることでしょう。

あなたの前に

今困った人がいるとするなら、

それは単にあなたが

その人を困っていると

認識しているだけであり、

あなた以外に

困った人など

存在していないのです。

あなたが困っているだろうと

想像しているだけなのです。

「いや、現に病気で

困っている人がいる」

とあなたは言います。

それでも私は言います。

ずっとずっと

上から眺めてみると、

病気の振りをして

何かを

気付かせようとしている人と、

その人を見て

混乱するという体験を

学んでいるあなたが

いるだけであることが

解ります。

本当の意味で困っている魂など、

どこを探しても

見つけだすことは出来ません。

そしてこの言葉を

受け取るか、

拒否するか、

あなたが

その絶対的選択権を

持っているのです。

あなたは創造者です。

初めも、そしてこの瞬間も。

そして

そうでない振りをすることさえ

あなたには

可能であったということです。

宇宙の特異点とは

今ここに無限にあり、

それは皆様方一人一人の

ハートチャクラの

中心にあります。

瞬間瞬間の

今ここにあります。

未来のいつかにではなく、

そうだと悟ったとき、

それは今あなたの

そこにありました。

欲望を通して求め、

求め尽くして・・・、

そして調和は

元々初めから

今ここにありました。

ここがこのままで

大調和そのものの世界

あった事に気付きました。

もともと不調和など

どこにもないのだと

解りました。

大宇宙の

ほんの一部を近視眼的に、

そのミクロ部分を

とらえたときに、

そこが不調和と

映っているにすぎないのだと

悟りました。