293 存在の耐えられない軽さ ミラン・クンデラ

--ただ偶然だけが我々に話しかける・・・必然性ではなしに、偶然性に不思議な力が満ち満ちているのである--

名著だなあと

しみじみ感じます。

もう4〜5回目のように思います。

ふとまた読みたくなってしまう不思議な魅力を持つ本。

何度読んでも、味わい深い。。。

題名もさることながら、章のタイトルがまた良い。

第一部 軽さと重さ

第二部 心と身体

第三部 理解されなかったことば

第四部 心と身体

第五部 軽さと重さ

・・・

今日は、理解されなかったことば、について。

お互いを理解しあうためのツールとして存在するのが言葉

そのはずなのに、言葉そのものが理解のすれ違いを作り出す皮肉

言葉を紡ぎ合うよりも、ただ抱きしめ合っていた方が心が繋がれるのではないかと。

35年生きて、色んな出会いと別れがあって、子どもへのまなざしを持つようになって

最近はしみじみ思います。

言葉にできない、ということは、全く大したことではないのだなあと。

つい、

言葉にできない=考えが無い、考えが弱い、

とか

言葉にしない=理解しあう気が無い、理解し合えない、

とか、思ってしまっていました。

特に20代、東京時代は、とみにそうだったように振り返ります。

言葉など無くても、

好きな人と、同じ風景を見ながら、ただただぼーっと横に座る

泣き散らす我が子を、ただただぎゅーっと抱きしめる

そんなことで、心はとても繋がるように思います。

重さと軽さのいずれが良いか、

筆者はこの問いを投げ続けますが、

しかし筆者が繰り返し揺り戻して語るように、

重さとは軽さの集合体たりえ、軽さとは重さへの連続たりえると。

両者がお互いを包含する、二匹の蛇のような関係でしかなく、

もしかしたらこの問いは単なる言葉遊びに過ぎないのかも知れないと。

重さを求めたテレザが軽さの大切さに気づき

軽さを求めたトマーシュが重さの価値を認める

お互いがその気持ちに至れたのは、テレザとトマーシュが、物理的に寄り添って生きた先で、と描かれる結末。

言葉以上に大切な、人と人との肉体的な距離間、

これを、心と身体という表現で描いた作品

そんな風にも読めるかなと、

今回は感じました。